音楽、生きる、エンジョイ
どうも、24歳男性。
あまり話さないことを、ここに書き遺していこうかと思う。
もう大人にならなくては。
今日は、僕が好きな“音楽”について。
音楽人生、幸せ人生?
誰もが、ながーい間音楽といろんな形で関わっている。
自分で好きな音楽を見つけたり、演奏したり、他人が好きな音楽を聴いたり、演奏を見たり。
出会う手段も違うし、その音楽をどう消化するかも、人によって異なる。
(最近はSNS普及とかでライトな層も増えたような)
そんな中、僕はけっこうどっぷり浸かってしまう方だった。
中学生くらいから、家でもイヤホンを外さないようになって、当時は怒られてた。
(B3学祭のときのsaidのMCが未だにイジられるんだが)
塾帰り、(今は無くなったが)近所にあったTSUTAYAでCD10枚借りて、ウォークマンに入れてた。
もともと根暗な性格だから、イヤホンをつけっぱなし(音楽聴きっぱなし)になったのか?
最近は、そうでもあったし、その逆でもあったと考えるようになった。
元来、影響されやすいタイプだったので、音楽による気分の浮き沈みが大きかった。
いつからか、どういうわけか暗い曲ばかりがプレイリストに増えていき、それらを聴き続けているうちに、こんなふうになった。
もちろん、日常に問題があった。
あったのだが、そんな暗い音楽はココロのセーフゾーンかのように、一旦自分を逃がしてくれるような存在だった。
大学でやってるバンドも、なんか暗いよね、って言われる。
まあ、とにかく、音楽の影響ってすごい。
まるでマリファナみたいに、他人の生活に入り込んでくる(吸ったことない)(謎の例え)
結局のところ、音楽から学んだことが今の自分の考え方に活きている↓
音楽、故に?
むかしも、いまも、慢性的に悩んでいること。
なんで生きているや、という悩み(テツガク!)
どうやら僕は病気らしいのだ。
眠れないのもそのせいらしい(しらんが)
病気故に、そんな考えても仕方のなさそうなことを時々考えてしまう。
決まって、むかしから答えは同じだ。
死に向かっているのだと。
究極的に、人は死ぬものだから、大目標は生きている上で成り立つ。
だからきっと大切なのは、何の為に生きるか、ということなんだろう。
それが本当に無い。
これから、生きる目的足り得る存在ができることが望ましいと思うが、それは生き続けること自体を目的とした上で成り立つ、取ってつけたような条件に過ぎない。
当たり前のように勉強をし、自分を最適化して、まっすぐに生きてきた。
危ない橋を渡ることもなく、安全な道を、用意された形で歩いてきた。
疑問は持っていた。
持ちながらも、自分ではなく社会を軸として、自分の価値を試算し、最適化。
それが病気につながったのかな、なんて思う。
音楽は、そういう自分の内面と向き合う空間として働いていた。
だから死にたい気持ちを抱えることになったのかもしれない(一概に、ではない)
あくまで、死にたいということを単にネガティブに捉えてはいない(個人的に)
自分の選択肢のひとつだ。
音楽という拡張現実は、常に自分に問いかけているように感じてしまう。
多岐で複雑なモノの中で、自分が彷徨っているだけなのでは?
まとめ
こんなことを、誰かに救いを求めるように、話すことがある。
答えはない。
いつか、誰かを巻き込んでしまうかもしれないと思い、やめようとも思う。
しかし、これが、ありのままの自分だと思うと、ちょっと弱気になるね。