ひとつ、ひとつ

みなさん、マヌマヌしてる〜?

どうも、マヌルネコです。

修論も終わって、いよいよ卒業やなーってなってます。

こんな夜には感傷的にもなるんやで。

今回はTOJOでの生活を振り返りたい〜

 

そのまえに、経歴。

初めてギターを買ったのは小6。

ヤマハのサイレントギター(エレキが欲しかったのに)

それは全然弾かんかったけど、中学の時にレスポール買って、ドラマーやってた。

まともにバンドやってたのは高校時代。

ギタボで、高1からずっとフェンダーのジャズマスを愛用(現在3本目)

 

学部時代

素直になって言うと、サークルをナメてたと思う。

音楽やりたくて入った自分にとって、TOJOの浮ついた雰囲気と、サビでバシッと手が上がる感じがマッチしなかった。

(インキャってだけなんだが)

先輩たちの目指しているライブ像みたいなものが見え見えで、そのベクトルに対し冷めてしまっていたんだと思う。

1年の時に見た追いコンは、まあよく分からなかったものだ。

 

--------(余談)---------

今も思うことだが、ライブ・音楽の楽しみ方は自由。

サークルだとしても、個人的にはそうあるべきだと思う。

だからこそではないが、ライブの雰囲気を創ってる宍倉とかはほんまに尊敬できるんよね。

あと、ライブ中、腕組んでてごめんね。

俺は手をぶらぶらさせておくことができない性格で、ポケットとかすぐ手入れちゃう。

---------(余談おわり)----------

 

ともかく、TOJOと自分があまりにもミスマッチに思え、自分がやりたい音楽を突き詰められたわけではなかった。

しかし、年月を経て、自分がサークルの方に順応していったような気がする。

「TOJOでこれやったら、みんな良いって言ってくれるかな」と、そう思った。

これはひとえに、仲良くなった先輩、同期、後輩がいたからなんだろう。

そういった“人”ベースで、バンドが楽しいと思えた。

こういうとこ、丸くなったんだな〜って思うよね。

 

学部を卒業する間際、仲が良かった先輩、同期が居なくなることが自分にとっては大きかった。

既知のとおりだが、特に藤本とはバンドも多く、バンドを通じてサークルと自分を繋ぎ止めていてくれた。

そういった存在がいなくなることは、“人”とバンドしてた自分から、サークルで音楽をする理由を奪うようなものだった。

(この頃、イッコ下との関係は未だ浅い)

忙しくなるとも思ったしね、研究・就活・バイト、、、

多分コロナでライブできなかったことも影響してた。

偶然か必然か、数人が「もうちょいバンドやりなよ」と言ってくれた。

とりま数ヶ月に1回とかでも続けっか、って思った。

(フラグ樹立)

 

大学院

自分の特性として「目標あるほうがやる気出る」ってのがある。

大学院でもサークルを続けるにあたり、指針を立てた。

①特異性のあるライブをする

②より多くの人(後輩)とバンドを組む

この2点だ。

①は特に、自分にしかできないライブをしよう!ってことだ。

TOJOに対して感じていた枠を超えて、自分の敬する音楽を自分の手で表現したいと思った。

実際に、自分なりにやれたんじゃないかと思う。

(気づいたらバンド組みすぎてました、フラグ回収)

追いコンでギタボで出るようなバンドは、特にTOJOに持ち込めてよかったと個人的に感じている。

伝わりづらい音楽かもしれないけど、今のTOJOなら少しわかってもらえるような気がしてた。

コピーバンドは、コピーする側が既存の(うまい)表現方法を借りることで、自己の感情表現を代替する効果があると思う。

少なくとも、自分はそう思っている。

残り、数えるくらいのライブしかないが、そう思って聴いてくれるとうれしい。

人生や生活を振り返ると、今はひとつの最期であり、一方で、ひとつのはじまりである。

 

ところで面白いのが、①を達成する上で、②の仲間の存在が大きかった。

実際に、自分の好きな音楽を、同じように好きでいてくれる人とバンドができた。

このことはバンドをしていく中で、大きなモチベーションとなった。

(こだわりすぎちゃって厳しかった時もあったかも)

(すまんち)

ギターとか、楽器はあんまり上手くならなかったけれど、その分、同期や後輩たちのおかげでいいバンドができたと思う。

あんまり言わないけど、後輩たち尊敬してるんだよ?

各々の異なる演奏力・音楽性が、今のTOJOのバリエーションに大きく影響しているんだろう。

やりやすい環境を(図らずも?)作ってくれたみんなに感謝。

 

おわりに

何が面白いのかって、結局、最後は”人“が大切になるんだなって思った。

人生のおわりでも同じように思う?